坂茂

トルコ

災害支援活動でも著名、プリツカー賞を受賞している日本の建築家「坂茂」

坂茂(ばんしげる)氏は、アメリカで建築を学び個性豊か、非常にのびやかな建築物を手掛けてきた日本の建築家です。

アメリカにわたりマイノリティ、弱者の住宅について大きな問題を持っているところに関心を寄せます。
ルワンダの難民キャンプのためのシェルターお国連難民高等弁務官事務所に提案して、開発、試作する等彼は常に思ったことをしっかり行動に移してきました。

災害支援活動を積極的に行う彼の姿勢はこうしたところからきていると思われます。
1995年、阪神・淡路大震災の際、紙で仮設住宅となるログハウスを建築し、教会の集会所も特殊加工した紙管と呼ばれるもので政策を行っています。

トルコでもインドでも、地震で崩壊した待ちに仮設住宅を造り、スリランカキリンダ村を大津波が襲った際にも復興住宅を建設、また中国四川省が大地震に見舞われた時にも小学校の仮設校舎を作っています。

未曾有の被害となった被害日本大震災の時には、体育館などの避難所でたくさんの人がプライバシーも全くなく暮らしていることに胸を痛め、紙パイプと布を利用しプライバシーを守る間仕切りを行い、さらには各地区の役所職員たちを説得してまわり、仮設住宅の建設やその質を向上させるということにも貢献されています。

実施兄女川町で坂茂氏が手掛けた海上輸送用のコンテナに家具を作り付けた2階、また3階建ての仮設住宅は非常に快適だったことから、そのままここに暮らしたいという方が大勢いたという話も残っています。

何事にも心を寄せ何よりも行動するということが魅力の坂茂という人物

会社員の父、服飾デザイナーの母の下、東京都で生まれ成蹊小学校からラグビーに親しみ、なんと高校時代には花園に出場したというラガーマンです。

成蹊中学時代に建築家になろうと決心し、高校ではジョン・ヘンダックに憧れを持ち彼が教えるニューヨーククーパー・ユニオンに行きたいと強く願うようになります。
1977年、彼は志をもってと米、英語学校に通いお1978年から2年半にわたり南カリフォルニア建築大学で建築を学んだあと、憧れのクーパー・ユニオンに編入を果たします。

磯崎新アトリエで学びさらにクーパー・ユニオンに戻り1984年建築学部を卒業し、建築写真家の二川幸夫氏のアシスタントをしたという経歴も持っています。

強い精神力と行動力は生まれもってのものなのか、小学校からラグビーに親しみ全国大会に出場を果たしたという経歴からくるものなのか、彼はとにかくしっかりと志を持ち努力し、弱きものの味方になれる精神力と行動力を磨いてきたように思います。

災害復興にいつでもサポートする用意がある彼は、何事にもグローバルな考え方を持ち、災害に関して建築資材などを供給する仕組みを作り、どの国で災害が起こっても即供給できるようにする仕組みを作る取り組みも進めているといいます。

ただ寄付をするということではなく、それに頼るのではなく、供給するシステム作りを提唱しこれについても今強く行動を行っています。
人間的にも彼の行動や思想を知ると、非常に魅力的な人物だと誰もが感じるのではないでしょうか。