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フィリップ・ジョンソン

ポルトガル

透明なガラスの箱・・フィリップ・ジョンソンという建築における革命児

20世紀を代表する建築家といえば、この人の名が必ず出てくるともいえるのがフィリップ・ジョンソンです。
彼の作品は建築家としてその技能、才能共に素晴らしいものがあるですが、だからこそなのか?常に生まれた作品は多くの人から物議の対象となってきました。

新しい建築スタイルに世間が驚き、その才能を認めても彼はそこでストップせず、その建築方式をいとも簡単に脱ぎ捨て、次の作品にまい進します。
自分の事を売春婦みたいなものだと揶揄しているのも、彼らしい自己表現です。

アートコレクターであり彼のパートナーであったディヴィッド・ホイットニーと自分自身の為に作った10棟の建築物、このうちで世界を最も驚かせた建築物が1940年代後半に建築されたグラスハウス、透明なガラスの箱です。
現在はこのグラスハウスはフィリップ・ジョンソンの遺言通り、ナショナル・トラストの持ち物となっており、グラスハウスとその敷地をめぐるツアーなども行われており、この建築物を見学に行く人は後を絶たないといいます。

プライバシーのないガラスの箱、グラスハウスの美しさ

美しい芝生と緑に囲まれているけれど、確かにガラスの箱であり周囲からは家の中が丸見えです。
皆さんこのグラスハウスを見学に来ると、フィリップ・ジョンソンはどこで寝ていたのだろう?と考えます。

もちろんフィリップ・ジョンソンであってもこの全くプライバシーのないところで眠ることはせず、同時期、芝生を挟んだ時期に作った閉じた建築物、ブリックハウスで寝ていたといいます。

ガラス、スチールで作られているこのグラスハウスは床面にも小さいガラスをはめ込み作られています。
換気装置はないのですが、各立面の中央のガラスが扉になっており、ここを開けると涼やかに風が通るといいます。

フィリップ・ジョンソンはどんな人物なのか

アメリカ、オハイオ州のクリーブランドに生まれ、ニューイングランドで育ったというフィリップ・ジョンソンは、1023年、ニューヨークのハックリー・スクールを卒業、ハーバードに進学し哲学を専攻します。

在学している時、弁護士の父からゆずってもらった株が高騰、彼は巨額な富を手に入れます。
1927年に卒業しその後は古典建築や近代建築などを見学しながらヨーロッパを巡ります。

1930年にはニューヨーク近代美術館の初代館長より誘いを受けてキュレーターとなり、その後、建築史家のヘンリー・ラッセル・ヒッチコックと近代建築展などを開催、アメリカにヨーロッパのモダニズム建築を紹介するなど活躍します。
その後、ドイツ旅行に行ってナチズムに感化されるなどして政治活動など行いますが、1940年にはハーバード大学建築学部大学院に入学しますが、卒業後はアメリカ軍技術師団に志願して入隊するなど貴重な体験もされています。