西本願寺
京都の駅近くにある西本願寺。
京都に行ったことがある人なら、立ち寄ったことがあるかもしれません。
ここでちょっと豆知識ですが、この「西本願寺」のほかに「東本願寺」というものがあるのをご存知でしょうか。
実はこの「西本願寺」と「東本願寺」、関係があるように見えてありません。
こちらで紹介する「西本願寺」は浄土真宗本願寺派。
そして、東本願寺は「真宗大谷派」です。
この宗派のことはおいておいて、おそらく日本でより有名なのは西本願寺のほうではないでしょうか。
なぜなら、この西本願寺は「新撰組の屯所」として利用されていた過去があるためです。
八木邸を屯所にしていた新撰組ですが、隊士が増えるごとにどんどん手狭になっていき、西本願寺への引っ越しを決めました。
新撰組は約2年間この西本願寺に住みましたが、もともと京都では歓迎されていなかった新撰組の隊士たちが、西本願寺側に好かれるわけもありません。
実際、2014年9月には西本願寺に残された文献から新撰組とのやりとりがある箇所が見つかり、寺側と新撰組派のやりとりをみることができますが、やはり寺からは歓迎されていなかった様子をうかがうことができます。
新撰組の隊士がくる前の日の通達では、「新選組隊士がきても直接は対応しないように」と周知させていたことがわかります。
西本願寺はもともと新撰組の敵である長州藩とつながりがありましたので、新撰組が良く思われないのは仕方がないことだったのかもしれません。
結果的に、西本願寺側から「新しい屯所をたてるので出て行ってほしい」と言われ、新撰組は新しい屯所にうつることになりました。これにも諸説あって、策士と言われた土方がわざと寺側にお金を負担させ、新しい屯所を作らせたのではないか?という人もいます。
真実は今となってはわかりませんが、新しく作った屯所にほとんど住まないまま新撰組は京を出ることになり、新政府軍と闘いながら北上することになります。
新撰組が住んでいたところは現在なくなっている
実は、新撰組が実際に利用していた箇所に関してはすでに移築され、この場所にはありません。
しかし、太鼓楼などはそのまま残されているため、「新撰組がこの景色をみていたのだな」と感じることはできます。歴史的にも非常に価値のある建物ですので、ぜひともこの西本願寺にお出かけをしてみてほしいですね。
京都でも非常にユウメイナ西本願寺、もし新撰組のファンであれば必ずチェックしておきたい場所です。