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モン・サン・ミシェル

モン・サン・ミシェル

モン・サン・ミッシェルはフランス西海岸にあるサン・マロ湾に浮かぶ総面積6,558 haの小さな島です。
サン・マロ湾は干潮時と満潮時の海面の差が激しく、昔は本土との行き来は干潮時のみに現れる道を利用して行われていました。
干満の差が15m以上あるのでかつてはこの道で潮に飲まれて命を落とす人々も多かったと思われます。

1877年に大陸との間に道が作られましたが、この道のせいで島が陸地化してしまいモン・サン・ミッシェル本来の姿が損なわれてしまいました。
そのため2009年にその道は取り壊され、現在は橋が渡されてバスが運行されています。

様々に変遷する役割

モン・サン・ミッシェルの起源は708年にアヴランシュ司教オベール大天使ミカエルの夢のお告げによって礼拝堂を建てたのが始まりで、それまではケルト人の信仰対象でした。
966年に、ノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を建築して以降、増築が重ねられて現在の形になりました。

英仏の百年戦争の期間はフランス軍の要塞としての役目を果たし、この時期には要塞としての堅固な建造物も造られています。
百年戦争が終わってからは、再び修道院として使われていましたが、フランス革命の時に修道院は廃止され、1863年までは国営の監獄として使用されていました。

モン・サン・ミッシェルは物語の中で非常に陰鬱な土地として描かれることがありますが、その背景には監獄としての歴史的経緯があるのです。
1865年からは修道院が復元されて現在も観光的な脚光を浴びながらも信仰の島として生き続けています。

繰り返される増改築

教会堂は創建時、隆盛のさなかにあったフランク王国(カロリング朝)の建築様式で建てられています。
内陣は当初はロマネスク様式で建築されていましたが、百年戦争の時に破壊されてしまい、その後フランボワイアン・ゴシック様式で再建されました。
窓飾りやステンドグラスが特徴的な建築様式で、ヨーロッパに数多くの宗教施設が残されています。

13世紀までの宗教施設と15世紀までの軍事施設が相まって、それからも何度も増改築が繰り返されているため、建物の下にはその前の建物の遺構が見つかることもあるそうです。

1897年には、モン・サン・ミッシェルのシルエットを決定づける鐘楼と尖塔が建設され、その上には金色のミカエル像がそびえたちます。

観光的とっ宗教と

モン・サン・ミッシェルはフランスで最も有名な観光地の一つで島のすぐ近くには、観光バスや車がたくさん止まっていて、多くの観光客が押し寄せます。。
島内の街の中のお土産屋さんやレストランは大盛況で非常に俗っぽい感がしますが、修道院に近づくと世俗との関係を断つように切り立った擁壁があり、その中では今も実際に修道士や修道女が住まう宗教活動の場なのです。