アヤソフィア博物館はトルコの首都イスタンブールの旧市街の中心地にあります。
常に観光客で混んでいる場所なので、治安の面から言えば比較的安心な場所ですが、その分何をするにも混雑を覚悟しなければなりません。
焼失と崩落の歴史
アヤソフィアは350年にキリスト教会としての創建されました。
404年に創建当初の建物は焼け落ちてしまい、415年には同じくキリスト教会として再建が完成しています。
532年に再び焼失し、537年に再建されています。
しかし、地震などで2度も崩落を経験し562年に再び巨大なドームが作られました。
この時のドームの大きさが現在と同じく高さ55.6 mのものです。
このドームも10世紀と14世紀に2度崩落しています。
1453年にオスマントルコはコンスタンティノープルに進攻し、名前をイスタンブールとしました。
1700年代にはドーム内に施されたキリスト教のモザイク画は漆喰で塗りつぶされてしまいました。
20世紀に入ってから、アメリカの調査隊によって漆喰が削り取られモザイク画が発見されたのでした。
その時に、アヤソフィアはビザンチン建築として脚光を浴びることになり、トルコ政府は、アヤソフィアを博物館として観光利用することにしました。
創建から幾多の火事、地震、戦争によって焼失と崩落を繰り返しながら歴史の中にあり続けたアヤソフィアは博物館とされてから現存の姿で保存されています。
宗教的な背景
建立当初はキリスト教会としての形式を整えており、内部は宗教的なモザイク画が飾られていました。
しかし、オスマントルコの手によってイスラム教のモスクとして改装されるときに、それらのモザイク画は漆喰で塗りつぶされました。
現在は博物館として公開され基本的には宗教的な催しは禁じられています。
宗教的な背景が、アヤソフィアの大きな特徴を形作っています。
まさに、文化遺産と呼ぶにふさわしい存在です。
巨大なドームは、建築そのものにも困難を極め、しかも何度かの崩落も経験しています。
その間、持ち主はキリスト教徒からイスラム教徒に代わり、宗教的な様相もキリスト教の礼拝堂からモスクへと変貌しました。
その間にも巨大ドームは守られてきたのです。
大きなドームは、そのまま時の権力者の権威の象徴で、なおかつその時代の建築技術の象徴でもあります。
イスラム教徒が施した漆喰壁と、その下から見えるキリスト教の宗教が見えている、不思議な光景がそのまま公開されています。
博物館になって以降、アヤソフィアは宗教的な意義から解放されました。
そしてトルコ政府の観光施設としての役割を担っているのですが、これもまた、トルコ政府の権威と権限を象徴するものになっているのです。
巨大なドームはいつの時代にも、それを所有する権力の強さを示すシンボルになるのです。